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日本のクリスマス産業の歴史

 

神戸は日本のクリスマス産業の発祥の地
(明治30年ごろ〜戦前)

 一般的に日本のクリスマスの発祥は横浜であるという説が有力なのですが、クリスマス産業の発祥の地となると、間違いなく神戸なのです。クリスマス用品が神戸の地場産業であることは、意外に知られていなくて、神戸市民ですら、知っている人はごく僅かです。
明治30年ごろ、仏具として使用されていた経木(木の薄皮で作られた菓子折り、弁当の箱のような材質)で作られたモールが神戸在住の外国人の目にとまり、クリスマス用品のモールとして作られたのが始まりです。
当時は「経木モール」あるいは「莚モール」(ムシロモール)と言われ、松や檜を薄く削り、染色加工されました。生産地である兵庫県の柏原(かいばら)で、製織され、神戸の業者が染色加工し、ほとんどが欧米へ輸出され、現地では大変人気を博したようです。
クリスマス産業発祥から戦前までは紙、木、ガラス、アルミ箔、セルロイドなどの素材を使用した「モール」、「ガラス玉オーナメント」、「ホイルベル」等の製品が主に生産され、バラエティに富んだ商品が出現しました。

 

戦前のクリスマス商品はこんな感じだった?
 
戦前は、紙、木、ガラス、アルミ箔、セルロイド等の素材を使用した商品が多かったようです。
※上の写真は昭和40年代ごろのものですが、戦前はおそらくこのような商品が作られていたと思われます。

 

日本のクリスマス産業の最盛期
(戦後〜昭和45年ごろ)

 戦後、クリスマス業界は生産を再開し、昭和26年、「日本クリスマス・イースター雑貨協同組合」(現在の日本クリスマス工業会)が設立されました。当時の日本製品というと、欧米諸国からは粗悪品とのイメージがありましたが、組合は輸出品の自主検査をし、海外からはその品質のよさを高く評価されるようになり、輸出が飛躍的に伸びるようになったのです。
さらに昭和30年代に入ると、石油化学製品の出現で、プラスティック、塩化ビニール、などの新素材をクリスマス製品に応用し、その優れた品質とデザインと相まって多種多様の製品が生産され、日本はクリスマス製品で世界一の輸出国となりました。メーカー各社は輸出貢献企業として国から表彰され、(弊社も表彰されました)まさに、クリスマス業界は黄金期を迎えたのです。

 

昭和30年〜40年代のクリスマス商品
 
この時代はプラスティック、塩化ビニールなど、石油化学製品の素材が中心でした。この頃、日本はクリスマス製品で、世界一の輸出国になり、花形産業の一つに数えられました。写真(最右写真)のプレートのようにメーカー各社は国から表彰されました。

 

クリスマス業界に大激震!オイルショック、円高のダブルパンチ
(昭和46年〜昭和60年ごろ)

 昭和46年、クリスマス業界にとって、最大の「事件」が起こりました。オイルショックによる石油製品の高騰、変動相場制による円高など国際経済の大変動により、輸出が激減し、それに呼応するように台湾、香港、韓国などのアジア諸国との競争が激化したのです。これらの「事件」は、ほぼ100%輸出に頼っていたメーカーにとって、「死」を意味するものでした。あっという間にほとんどのメーカーは廃業、倒産を余儀なくされました。かつて、数百社あったクリスマスメーカーはその後の10年で10分の1程度に激減したことで、いかにその影響が大きいかを物語っています。今では純粋なメーカーは数社を残すのみとなっています。

 

内需主導型へ転換
(昭和60年ごろ〜平成6年)

 かつてはお互いライバル会社として、しのぎを削ってきたメーカー各社は結束し、本場欧米諸国との豊富な経験とデザイン力を活用し、国内市場の開拓と拡充に力を注ぎました。
しかし、宗教的背景のない日本のクリスマス市場は、欧米向けのデザインをそのまま利用していたのではなかなか受け入れらず、苦戦を強いられました。そこで、業界は欧米のデザインを日本風にアレンジすることで、現状を打破しようとしたのでした。
その結果、昭和60年ごろにはようやく、日本にもクリスマスというものが定着し始め、輸出の落ち込みを内需でカバーすることで、何とか収益を確保できる状態まで回復してきたのです。すなわち、いち早く内需主導型に着手した会社だけが生き残ったわけです。

 

阪神大震災を乗り越えて・・・

 今も記憶に新しいあの忌まわしい阪神淡路大震災で、神戸在住の多くのメーカーは工場、事務所の全半壊という多大な被害を受けました。ただ、不幸中の幸いだったのは震災がクリスマスシーズンではなく、商品を売り尽くした後の年明けだったため、商品に関しての被害が最小限にとどまったことです。もし、あの震災が10、11月ごろに起こっていたら・・と思うと今でも背筋が凍る思いです。そして、日本全国、各種団体からの支援を受け、何とかその年のクリスマスを無事に乗り切ることができました。

 

最近のクリスマス産業の現状

 現在の国際市場では、生産の中心が台湾・香港・韓国から中国やタイに移行しており、日本のクリスマス製品も95%以上が輸入製品で、そのほとんどが中国製といっても過言ではありません。
メーカー各社は輸入商社機能を持ち、中国などからパーツだけを輸入して製品化したり、あるいは自社の指定した品質やオリジナルデザインを中国で作らせて、国内向けに販売しているのが現状です。
クリスマス産業は売り上げが9月〜12月だけに集中するため、各社事業の多角化をはかり、専業メーカーはごく僅かになってしまいました。しかし、クリスマス産業の発祥の地である神戸(兵庫県)が国内で圧倒的な人気を博しているように、本場欧米諸国で培った経験とデザイン力を生かし、今も毎年斬新かつ、新鮮な感覚の製品を世に送り出しつづけているのです。 

 

このコンテンツは弊社が2001年9月より掲載し、順次更新しております。